投稿日:

冬の南半球シドニーから、皆様に初めてお便りいたします。

東京地方は、例年になく早い五月の梅雨入りとのことですが、シドニーも夏から突然冬(?といっても温度はそれ程下がらないのですが)に移った感じでした。今日は最高気温14℃最低7℃という寒さで、メルボルンに負けないなどと新聞は報じています。

2,3年前に、久しぶりに附中1期の同期会に出席し、懐かしい先生方はじめ友人に会い、旧交を暖めました。ちょっと遠いので、毎年出席という訳には行きませんけれど、来年はまた是非と思っています。
当時の附中1期生は、殆どが附属小学校から続いている方たちでしたが、私は2学年後期からの転入生10名の1人でした。それにしては実に楽しい、充実した思い出がたくさんあり、優秀な先生方、素晴らしい友人に恵まれたお蔭と感謝しています。

オーストラリア旅行というのは、まだ航空会社に勤めておりました時、1958(?)年に1ヶ月ほど、シドニー、メルボルンを訪れたことがありました。1960年に、当時商社駐在の萩原がいたメルボルンで結婚。約10年滞在してその間に娘と息子が誕生。その後東京へ転勤で家族揃って帰り、1980年にはシドニーへ一家で移住。ですからオーストラリアは通算40年以上になります。自宅は、シドニーの中心地より20km、ハーバー・ブリッジを渡った地にあります。
昔、メルボルン時代第2子誕生の前、当時はスポンサーがいないと海外へ出られない日本の経済状態でしたのに、無理を言って母に来て貰い、1年滞在して貰いました。1910年生まれの母ですが、横浜から約2週間の船旅で来てくれました。1982年には、シドニーの我々の生活ぶりを見て貰おうと母を呼びまして、その時は約2ヶ月の滞在。1994年には永住ビザをとり、母は東京を片付けてこちらへ移りました。96歳で亡くなります迄、私と一緒にシドニーで暮らしました。女手ひとつで育ててくれた母ですので、最後をお世話でき、これも感謝しています。

下の子が大学に入った年から、私は仕事を始め、そのお蔭で第二の人生を充分満喫することが出来ました。そして、まだ仕事はしていたのですが、2000年から州立美術館のボランティアを始めました。
ここのボランティアは、「美術館ソサイティ」というメンバーにになっていないと活動できないことになっていまして、会費を払いメンバーになります。現在私は2種類のボランティアをしています。
一つは「タスクフォース」と呼ばれる諸々の仕事を手伝う役目で、切符を売ったり(美術館入場は無料ですが特別展は有料)もします。もう一つのボランティアは、圧倒的に西洋人観客の多い美術館へ、アジア系の人達を誘致しようという役目で、中国語・韓国語・日本語を話す訓練を受け、テストにパスしたガイドが常設展の案内をする、という仕事です。

今までに、この数年の間、ホノルル美術館からの“大正シック展”、1000年記念を祝った“源氏物語展”(作品は全部オーストラリア国内で調達)、昨年はベルリン博物館からの“歌麿展”等で、日本人ガイドは大分活躍をしました。訓練、資料は全部英文、で、それを又日本語に訳するわけで二重手間ですが、来年は日本からの「琳派展」があるとのことで、我々皆も楽しみにしています。
レギュラーの日本語ツアーは、毎週金曜日11時からあります。ガイドは、英語の素晴らしいボランティア・ガイドが約200名、我々アジア系言語が20名ほど、そして「タスクフォース」のメンバーが200余名、これらがこの美術館に提供している労働力は、年間200万オーストラリア・ドルといわれています。――というのは、州立美術館は運営費のみが政府から出ていて、作品の購入費はすべて寄付に頼っているということで、そのためにボランティアが大活躍している訳です。ボランティアの平均年齢は60歳以上……、と我々皆共通の話題も多く、楽しい雰囲気の中で忙しくしています。庭は楓の枯葉でいっぱいですが、椿、さざんか、つつじ、カニサボテンなどが花をつけています。

東北地震からもう3ヶ月、未だに不自由を強いられている方々がたくさんいらっしゃるのを知り、胸が痛みます。少しでも早く事態が好転するよう、心からお祈りして筆を置きます。

1期 萩原 愛子(旧姓松浦) 2011年6月8日記

東京学芸大学附属大泉中学校