
30期穏やかな日曜日、懐かしい母校で開会
「半世紀」
という言葉は、
まず自分には関係のないものだ
と思っていました。
そんな私たち
小学校37回生・中学校30期生も52歳。
今年の同期会は、
11/29の穏やかな日曜日に
大泉にて行われました。
昨年の会場「帝国ホテル」のように
華やかな雰囲気も素敵ですが、
やはりここ「大泉」は、私たちにとって、
いつまでも「ただいまぁ」
と言いたくなるような“心のふるさと”です。
ISSの教室で開始された第1部は、
栗田君と稲井さんの司会により、
まずは出席者の近況報告から。
「仕事が忙しくて、今月は今日が初めての休日」という人もいれば、「西武池袋線は高架化も進んで大きな変貌をとげているのに、西武新宿線はほとんど変化していません。当時のことを思い出したい人は西武新宿線沿線へお越しください」と笑いを誘う人も。中には「つい先日まで入院していた」という人もいましたが、この日に元気な姿を見せてくれたのは何よりでした。
「大泉学園の駅で偶然に会った…」と言いかけたまでは良かったものの、その偶然に会った同期の人の名前がすぐに出てこなかったのはご愛敬。そういう年齢ですからね。私なんか、さっき思い出そうとして思い出せなかったことが何だったかを思い出せないこともあります。
続いて先生方のご挨拶が始まると、
私たちの当時の記憶はさらに鮮明になってきます。
特に、私たちの同期会には初めてのご参加となる草川(現在は伊藤)先生にお会いできることを、楽しみにしていた人も多いはずです。先生のお宅を訪問したことがあるという女性陣の楽しい思い出がある一方で、叱られた記憶があるのは私だけではないと思いますが、「当時は、教師としてきちんとしなければいけないという気持ちが強かったことから、皆さんに対しても厳しく接したことがあったと思います」というお話を伺うと、しばしば人を指導するような立場にもなった私たちには、その強い責任感から生まれた先生の思いが痛いほどわかるのでした。
私たちが二年生になる際に、学校を去られた草川先生からの思いを託され、その後も悪ガキどもの相手をしてくださった石川先生からは、既に学校名が変わっているにもかかわらず、在校生が私たちのことを「先輩」と呼んでくれているという話を伺うことができました。先生のご挨拶は、当時教えてくださった短歌のように、私たちの耳に心地よく響いてきました。
「廊下などに書かれている横文字は、やっぱり苦手だな」と開口一番に話されたのは藤木先生です。決して飾らない、実直なお人柄は健在です。現在も他校で技術を教えられている先生は、「今の学校の生徒は、君たちよりもずっと世話が焼ける」とこぼされていました。それは本当ですか、先生? 私のクラスでは、ほとんどの男子が授業をボイコットし、皆で屋上に行ってしまったこともありましたが、そんな私たちよりも…ですか? 「辞めさせられてもかまわないと思いながら、周囲の先生方に『そんなやり方じゃ、だめに決まっているじゃないか』と注意している」とのこと。男、藤木勝は、私たちが先生の指導のもとで製作した文鎮や書類整理箱のように、いつまでも堅牢な心の持ち主であることを改めて実感しました。
第1部の締めくくりでは、
全員で校舎の周辺を散策。
当時の面影が今も残っている体育館とプールの間の通路を抜け、現在は使用されていないテニスコートに向かいました。まだ未定だけれども、このコートの上に道路建設の計画があると聞いてショックを受けたのは、テニス部出身の人たちだけではないでしょう。けれども、それは、私たちの思い出がアスファルトという蓋でしっかりと守られるということだと思うことにしましょう。
既に西に傾き始めた陽の射すグラウンドでは、小学校のPTAの皆さんが野球をされていました。その様子をしばらく見つめる私たち。それぞれが、昼休みに遊んだり、放課後に部活動を行ったりしていた自分たちの影と重ね合わせていたのかもしれません。
大泉学園駅近くの居酒屋での第2部からは、大川先生と、小学校の酒井先生、大野先生が合流してくださいました。
「これからますます寿命が延びることを考えれば、52歳というのは、ちょうど人生の折り返し地点だと考えた方がよい。くれぐれも自分の体の管理は怠らないように」と諭してくださった大川先生。保健体育の先生ではありますが、ご自身のことよりも、まず教え子たちの健康を気遣ってくださるところに、深い愛情を感じました。私は、中学入学の数日後に先生に思いっきり平手打ちを喰らいましたが、今ではそれも教え子を思っての鞭であったと理解しています。
「もし先生方の授業を再び受けることができたら、今ならもっともっと多くのことを学ぶことができるだろうに」と思うこともあります。けれども、37年前の先生方と、たかだか15歳の青二才との関係であったからこそ、その後も決して忘れることのない思い出や現在までに至る感情が生まれたのかもしれません。
・・・などと物思いにふけっているうちに
楽しかった会もお開きとなりました。
幹事の皆さん今年もありがとうございました。皆さんの多大なご尽力には、いくら感謝してもしきれないほどです。
大川先生の先見によると、この第30期の同期会も、あと52年間は続けることができそうです。その間、一人でも多くの人が参加し続けられるように、一人ひとりが体の管理を怠らないようにしたいものです。そして、52年後の同期会レポートを、「『一世紀』という言葉は、まず自分には関係のないものだと思っていました」と書き始めることにしたいと思っています。
古谷 利器
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ISS使用を快諾くださった赤羽副校長、
そして、教室を確保してくださった石川先生に、
心より感謝を申し上げます。
—— 小学校37回生・中学校30期生 一同 ——
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永久幹事クリ『みなさん、お疲れ様でした。』
永久幹事ナカチョ『みんな元気で賢くて優しくて、まさに菊の子そのものだったね。』
永久幹事イナコ『男性は若々しく、女性は溌刺、皆さん素敵だな~と思った一日でした。』
永久幹事ミミ『みんな大好き!(^^)! みんなが同期でいてくれることに感謝!』
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同期会2015年~52歳、母校へ帰る~
【11:00 懇談会&母校散策】
◆藤木先生・草川先生・石川先生◆同期33名
【14:00 宴会part.1】
◆大川先生・藤木先生・草川先生・石川先生
◆酒井先生(小学校恩師)・大野先生(小学校恩師)◆同期39名
【17:30 宴会part.2】
◆藤木先生◆同期23名
【20:00 閉会】
・・・それぞれの分科会へ、つづく